この記事は3歳の娘を持つ私が日々の出来事の中で、子どもとの接し方を反省しながら、それを忘れないよう整理して記録しているものです。
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ある日の出来事
ある日、いろんな背景がありましたが、娘なりに気に入らないことがあったようで、モノを投げないで!と言ったにも関わらず、投げてしまった出来事がありました。
キティちゃんのおもちゃでした。笑
投げないで、と言ったのに投げたので、娘を叱りました。
そして投げたことを謝るよう言いましたが、娘もイライラしていて謝りません。
こちらも怒りモードだったので「謝りなさい!」とビシッと言いました。
一度離れて、間を置いてから娘のところに行くと、娘は「ごめんなさい」と言うことができたので抱っこしました。
なんとなく気になって原点に返る
必要な時は厳しく叱って謝ってもらうことに大きくは後悔はありませんでしたが、なんとなく効果的じゃない気がしたので、原点となる本を読み返してみました。
以前の記事で紹介した中のこちらの本です。
気持ちが伴わない時には大人でさえ、すぐに謝れないことがある
こんなことが書かれていました。
大人でも、例えば夫婦喧嘩などでヒートアップした時に、誰かから
「謝りなさい!」
と強い口調で強要されたとしたら、仮に自分に落ち度があったと内心思っていたとしても、すぐに口からは
「ごめんね」
が言えないことはあると思います。
子どもも同じである、と。
「謝りたいと思った時に謝ってね」と謝るタイミングを子どもに託してみることも書かれています。
その本質として、「ごめんね」という
言葉を発すること自体は本質ではなく、自分の心でどう思ったか、その上で言葉として表現する「原体験」自体が大切
であるという主旨です。
セリフを言わせることに意味はあまりない

無理矢理言わせても意味がないですし、心のない言葉を言わせる教育よりも、謝りたいと思った時に謝って、ということで、子どもの中で少し内省したり、消化する時間を設けることが大切なんだと思いました。
図らずも、我が家での出来事も、私が一度その場を離れて少しクールダウンした後に娘はすんなりと謝っていました。
叱らないといけない局面はあるが、操り人形にしたいわけではない
子どもに何かセリフを言わせるのではなく、しっかりと自分の中で反芻する時間を作ってあげるのも大切だと痛感しています。
そしてその時間こそが親の内省も同時にさせてくれるんですよね。考える時間をお互いに与えることで相手のことや自分のことを考える習慣になる。
一見、甘やかしているように見えるかもしれませんが、「謝りたいと思った時に謝ってね」という言葉の本質はそこなんだと気づきました。